生徒指導室がようやくいつもの静けさを取り戻したのは、夕方頃のことであった。
紅い日が傾き、校舎の影は濃く長く伸びている。
日高が下校しようとしているところを大沢に捕まって、早一時間近くが経過していた。
散々な格闘の末、生徒指導室の椅子は倒れ筆記用具等の備品は散らばり、そしてその部屋の床には騒動の原因の一人、日高がへたり込んでいた。
もう一人の原因、大沢の方はというと散らかった部屋の物を元の位置に片付けている。
こちらは平然としていて、全く体力が尽きていない様子だった。
手っ取り早く日高の服装の乱れを整えてやろうという大沢なりの「生徒指導」だったが、どうもそれは失敗に終わったようであった。
服装は整うどころか、格闘の末に日高の黒の学生服は埃で汚れ、その下に着ていたTシャツは襟が伸び切り、袖が破れた状態になっていた。
教師陣に見つかれば、また喧嘩でもして来たのかとますます日高の評判が悪くなりそうな様相である。
だが、悲惨な格好になった日高に対して、大沢は後悔する気も詫びる素振りも無い。
「へぇ、こういう制服の改造が格好良いもんなのかね…?
まぁ、何にせよ校則違反だから没収な。ジャージか何かに着替えとけよ」
「あぁ…?んなもん持ってきてねぇよ……」
元気の有り余った大沢の活発そうな声とは対照的に、日高の憎まれ口は力無く掠れていた。
「おいおい、今日は確か体育の授業あっただろうが!それじゃ、またサボったんだな…」
進級も危ないという時期に、また欠席。自分が担当する数学の授業ならまだ免除してやれなくもないが、よりによって体育か――
体育の授業を受け持つのは生真面目な平山という男で、問題のある日高等の生徒には非常に厳しい教師だった。
大沢は舌打ちしながら、思案を巡らせた。
「……分かった。平山先生には俺から話しておこう。
お前は具合が悪くなって授業に出れなかったが、その分は俺が責任もって授業と同じ内容をやらせました、と。
うん、まぁ…頼み込んだら、平山先生も大目に見てくれるさ」
「おい…、何勝手に決めてやがる……?」
「今日はサッカーの授業だったってクラスの奴が言ってたが、お前一人じゃサッカー無理だよな。
道具も用意せんといかんし…そうなると平山先生の許可もいるか。もう、帰ってしまわれてるかもしれないなぁ。
……う~ん、もう走りこみって事でいいかな?」
「おい!だから、何勝手に……!」
日高が残った力で抗議するが、ひたすらマイペースに大沢は話を進めていくのだった。
「どうせ、この時間グラウンド使ってる奴もいないだろうし、授業の一時間分走ってこいよ。
その間に、俺は洗濯行って来るわ。俺が顧問やってる柔道部の部室な。洗濯機あるから、お前の制服洗っといてやるよ」
「え、えっ…、ちょっ……!?」
日高の物言いには聞く耳も持たず、大沢はさっさと洗濯物を回収し始めた。
大沢に、生意気な生徒に酷く当たってやろうという悪意は無い。これでも、本人は良かれと思ってやっているのであった。
それが向けられる相手、日高にとっては甚だ迷惑な結果にしかならなかったのだが――
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