神経質なのだろうか、私は微かな物音でも目が覚めてしまう。
寝つきが悪い為に睡眠導入剤も服用していたが、それは気休めのようなものだった。
まだブランデー等の寝酒の方が、よほど私の眠りを助けてくれていた。
若き使用人は、しっかり薬が効いているとでも思っているのだろう。 飽きもせず毎夜のように私の部屋に忍んで来るのだから――
それはいいのだが、明日も早いというのにもう少し遠慮があってもいいのではないかと…暗闇の中で私は眉を顰めた。
大体の私のスケジュールは把握しているだろうに、休日の前に来るとか他にもやりようがあるだろうと、勝手気侭にやって来る男を少々疎ましく感じていた。
夜毎の来訪が繰り返されるようになったのは、確か私が薬を飲むようになった1年程前の事だった。
若い使用人に勧められた睡眠導入剤だったが、こういった薬の効用は個人差があり万能ではない。
だがそれでも、仕事に昂ぶった神経や緊張を落ち着けてくれて、私には寝入りがましになる程度の効果があったので、しばらく服用を続けていた。
その夜も白い錠剤を喉に流し込み、自室の寝台でうとうととまどろみ始めた頃だった。
0時は過ぎていた時刻だったと思うが―― ノックも一言の挨拶も無く、部屋の扉が開いた気配がした。
夢の中で起きた事かと思ったが、部屋の中に入り込んだ何者かの気配を感じ取ると、私の意識は瞬時に冴えた。
屋敷の中に、私の許可無く部屋に立ち入る者はいない。 しかも、こんな深夜にだ。
そうなると外部からの侵入者という事になるのかと、私は寝台の上で下手に動かず、侵入者の動向を探りながら考えを巡らせていた。
屋敷には住み込みの使用人も多くいて、セキュリティにも入っていたので、私は自室の扉に鍵もかけていなかったのである。
はっきりした理性が頭に戻って来て、これが夢でないという事と外部の侵入者の可能性を私に知らせてくると、ゾッとする思いを味わった。
そっと扉の方を窺ってみたが、悪い視力と部屋の暗闇のせいで黒い人影のようなものとしか認識できない。
それでも薄目を開けて様子を見ていると、その影はこちらに近付いてくるようだった。
明りも点けずに足音を殺してやってくる様子が、良からぬ動機の持ち主である事を証明していた。
だが、それが近付くにつれ私の不安や恐れは消えていった。
人影が暗闇に躓いたり、家具に身体をぶつけて慌てる等、手馴れた窃盗犯とも思えぬ鈍臭い動作をしている事もその要因の一つだったが――
その影の動きには見覚えがあった。 ほとんど10年近く生活を共にしているので、視界が悪くとも間違える事は無い。
子供の頃より、この屋敷に仕えている使用人の男である。
それを把握すると同時に、私の心には疑心が沸いていた。
――あの使用人は、欲の無さそうなタイプだと思っていたのだが… まさか金目の物でも探して人が寝静まった頃にやって来たのだろうか、と。
しかし、屋敷の権利書等の重要な物は貸金庫に預けているし、私の自室に金になりそうな物は無い。
どうせなら、父が昔使っていた部屋にでも行ってくれればいいものを……
父は私と違って美術品の収集をしていたし、大部分は今住んでいる別宅の方へ持って行ってしまっているだろうが、それでもこの部屋よりは何かしら高価な物が残っているだろう。
何でも好きな物を持って行けばいい。 そして、この屋敷から逃げ出して、二度と顔を見せないでくれ。
不安、疑念は怒りに変わり、私はこのような面倒事に関わるのも馬鹿馬鹿しく思い始めていた。
盗みが目的なら、命の危険まではあるまい。
そう考えて、私はこれ以上休息の時間を無駄にしたくなく、このまま睡眠を続ける事にした。
相変わらずゴソゴソと要領悪く動いている男の影を無視して、己の眠りに集中した。
しかし、その私の試みは成功しなかった。
気が付くと、私が横たわる寝台のすぐ横に男が立っている気配がした。
男の呼吸は押し殺していながらも乱れていて、この事態に開き直ってしまった私よりも緊張している様子が窺えた。
いよいよ盗みに入るというところで、私の眠りを確認しに来たのだろうか…?
狸寝入りがばれた際の最悪の事態を考える。
使用人の男はそう凶暴にも見えないが、俊敏そうな若い身体を持っている。
体格の大きさは私の方が上だったが、取っ組み合いにでもなったとして勝てるどうか……
私は表面上は穏やかに寝たふりを続けながら、思わぬ面倒事の対処に頭を悩ませて憂鬱になっていたのだった。
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