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月の眠る夜 裏1

 
 
 腕の時計を確認すると、午後の7時を過ぎたところだった。

最近は、仕事先や車の移動時間等で短い睡眠をとるような忙しい日々が続いていた。

 祖父の代から続く企業とはいえ、その上に胡坐をかいて構えていられる程、暢気なご時勢でも無い。

私の代で潰してしまう気も、無難に現状維持させる気も無かったので、多忙を極めるのは承知の上の事だ。


 それでも今日は仕事に一区切りがつき、早く帰宅できた方だった。

仕事以外に趣味の無い人間でも、久しぶりに我が家の外観を車窓から目にするとほっとする思いがした。



 運転手が車の戸を開け、屋敷に着きましたと促す。 

初老の運転手は疲労した私を気遣うように声をかけてくれたが、彼の手を借りないと歩けないという程でも無い。

私がだるい身体を引き摺って車の外に歩き出ると、タイミングを図ったように屋敷の中からうちの若い使用人が出てきた。


「お帰りなさいませ。 お荷物をお持ちします」

 口調だけは丁寧な様子で、その男は私の書類ケースを引っ手繰った。

こいつは、自分では慇懃に振舞っているつもりなのかもしれなかったが、いつもその感情を分かりやすく顔に貼り付けている。


――疲れの溜まっている私より、不機嫌な顔つきなのは何なんだ?

疲労も手伝って、こいつの態度の悪さに苛立ちを覚えるが……

 しかし、これでも屋敷には長く勤めており、仕事の面では文句も無く使える男だった。

それに表面上だけ愛想良く取り繕って腹で何を考えているか分からぬ人間よりは、分かりやすくて良いだろう。

下手に財産があると良からぬ輩が寄ってくるのは、身に染みる程経験している。

 屋敷の管理の全てを任せきりにできるのは、この分かりやすく正直な無礼者以外に適任はいなかった。
 

 力が余っているのか八つ当たりなのか知らないが、若き使用人は乱暴な音を立てて屋敷の戸を開けた。

私の背後で、初老の運転手がびくりと驚きに身を竦ませる気配を感じる。


「――どうぞ、お入りください」

 一応のポーズだけは礼儀の行き届いたドアマンのような素振りで、男が扉を開けて促した。


 こいつの態度の酷さはいつもの事だ……何ら、本人に自覚が無い事が不思議で仕方が無い。

しかし、疲れている私は男に注意や嫌味の一言すらかける気力も無く、ただ無言で開けられた扉をくぐるのだった。


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