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白兎 4

 
 
 
 
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 泉のほとりでは、早半刻程の時間が過ぎていました。

鰐さんの怒りは一向に治まる気配もなく、そこら一帯に大きな怒声を響かせています。


 「ワレ」だの「ボケ」だのという唸り声の後を、兎のぎゃんぎゃんと甲高い泣き声が追いかけます。

その恫喝の言い回しから(あれ…この人、西の方の出身だったのかなぁ…)と、周囲の者たちはどこか呑気な感想を思っておりました。

強面の鰐相手に積極的に話しかける者もおらず、また無口な本人もむっつりと黙っていることが多いため、今回話している様子を初めて見たという者も多いのでした。

 観衆にとって無口で恐そうな住民という印象の鰐さんでしたが、激高した姿はどう見ても西方のヤの字のつく人のようにしか見えません。



 意識が緊迫した状況から逃避したように場違いな考えごとをしてしまう住民たちでしたが、白兎の方はそれどころではありません。

自慢の逃げ足が封じられた身体で地面を這いまわり、あっさりと鰐に距離を詰められると、引っ張り戻され蹴られることを繰り返しています。

 謝罪もなく逃げようとする兎の態度が、さらに鰐さんの怒りを煽るのでしょう。

最初の加減した脚払いとは違い、今や苛立ち紛れに蹴り飛ばしているようで、鈍い音と共に小柄な兎の身体は何度も地面に転がされていました。


 見ている者達はハラハラしながら、(負傷した脚では逃げられないのだし、もうさっさと謝ってしまった方がいいのに…)とも思うのですが、パニック状態の兎には冷静な判断がききません。
 
とにかくこの状況から逃げたいという思いで白兎の頭は占められ、それ以外の方法などまともに考えられなくなっているのでした。


 そうこうするうち、やっと白兎は這って逃げる動きを止めました。

逃げるのを止めたというより、もう動き回る力が無くなったという方が近いのでしょう。

 鰐さんに引き摺り回されている間に兎の衣服はすっかり千切れてしまって、周辺にその白い切れ端を散らしています。

もはや白兎が身体に纏っているのは、身体に引っかかって残った切れ端のみという状態で、擦り傷と痣を身体中に作った痛々しい素肌を晒していました。

白毛の衣をなくした生身の白兎は、悲しいほど細く頼りなく変わっていました。

地面にうつ伏せに身体を丸めてびくびくと震える姿は、いつもの勝気で生意気な兎とは別人のようでした。



「……もう、これぐらいで許してやったらどうだ?」

 集まったうちの一人が、小さな声でしたが鰐の背に声をかけました。

相変わらず鰐さんのことは恐ろしいけれど、流石に気の毒になってしまって見ていられなくなったのです。

しかし、激高した鰐さんには聞こえていないのか、かけられた声に振り返ることもせず――這い蹲る白兎に近寄ると、俯く顔を強引に上げさせました。


 ひゅっと、兎の咽喉から嗚咽するような音が洩れました。 

腹這いで丸まっていた状態から首根っこを捕まれて、白兎の顔と上半身が起こされます。

脱力した脚に力が入らないため、ほとんど鰐の腕力で引き上げられているような、だらりとした膝立ちの体勢にさせられました。

捕まれた首や鰐の手に絡んだ髪が引っ張られて痛みが走りますが、憔悴しきった様子の白兎は僅かな抵抗も見せません。

涙に濡れた瞳は虚ろで、今や捕らわれた獲物のようにぐったりとしてなすがままになっています。


「なあ…本当にもう勘弁してやったら……」

 また群集から鰐の方へ声がけられました。

争いごとに対しては臆病になってしまう気質のおとなしく住民たちでしたが、流石に見過ごせなくなってきていました。

他からもボソボソと同調する言葉が後に続くように囁かれます。


「お前らがそうやって甘いもんやから…」

 背にかけられる声にやっと鰐が振り返りました。

いつもはだるそうに目蓋がかかった焦げ茶色の目は、今は異様な光を持って見開かれていました。

瞳孔を針のように鋭く尖らせた捕食者の目を向けられて、周囲は再びしんと静まりました。


「こいつも調子乗るんやろ」

 そう言って、鰐は右の片腕で吊り上げた兎の首を観衆に示すようにぐらぐらと左右に揺さぶりました。

口調こそ静かなものでしたが、その声音は暗く低く響き、まだ治まらぬ怒りが感じられました。

首を揺さぶられる動作に「ひっひぃ…っ」としゃくりあげる嗚咽が兎の咽喉より洩れ、剥き出しの白い手足が連動するようにびくびくと痙攣を返します。

 白兎は膝立ちになって、ほとんど素裸の姿を周囲の目に晒されているような格好です。

滑らかな肌についた細かな傷、蹴られて痣になっている腹部が周囲の目に痛々しく映ります。

緊張に尖らせている胸の小さな突起から、まだ少年らしい腰の稜線、その下の性器までも多くの視線に晒されていましたが、白兎には恥じらいを感じる余裕もありません。

身体を隠そうとすることもせず、ひたすらぐったりとしています。

元が色白の肌をしている兎でしたが、恐怖のためか、その身体は青白く血の気が引いて見えました。
 


 白兎の身体を軽々と扱いながら、鰐はまた黙って何かを思案しているようでした。

「そうや…、こいつがまた面倒起こさんように、」

 鰐の手が拘束を解き、兎の身体を前に投げ出しました。

白兎は前のめりに傾き、丁度集まった住民と鰐の間に四つん這いで倒れこむような形になりました。


「今までやった迷惑行為の謝罪でもさすか…?俺だけやなく、ここにおる全員に対してな」